始まりはデートDVから…

2008年11月27日 (木)

急ぎ実家へ*本当のことを打ち明ける辛さ

新宿のビジネスホテルで夜を過ごしながら、私は「とにかく別居をして自分の身の安全や精神的安定を確保しながら、離婚に向けて話を進める(調停)しかない」と思った。住まいを得るため「契約者」「保証人」の問題を解決するには実家の母や弟を頼ることにした

続きを読む "急ぎ実家へ*本当のことを打ち明ける辛さ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

DV加害者のモト君は:言い争いになりそうな時、影でチラッと目が変わるんだよ!

新宿に着いて歌舞伎町のゴールデン街へ向かう。子どもたちが小さかったころ、家族で世話になった飲み屋のママさんの店があるのだ。15年ほど前に一度だけモト君に連れられて店に行ったことがあるだけなので、そのときの記憶をたどりながら私は店を探した。

私たちの若いときのことも知ってくれているママさんに相談しようと思ったのだ。お酒を飲む店では多少、モト君はDVの加害者としての本性というか、そういうものも見せているのではないか? そう思ったので、いつも「俺の言う方が正しいに決まっている!」とそういっていたモト君の隠れた本当のことを聞いてもらおうとここまで来たのだ。

細い階段を上って迷路のような通路を行くと、探していた店があった。ドアを開けるとなつかしいママさんがいた。客は男女のカップルが一組。「やあ、久しぶり。ひとり?どうしたの?」とママさんは優しく聞いてくれた。ママさんと言っても年齢はもう60歳を過ぎている。ちょっとした親代わりだ。「今夜は相談したいことがあって、今夜ママさん家に泊めてくれる?」と私は頼んだのだが、「あいにく明日から仲間と旅行で出発時間が早い」とのこと、「泊めてはあげられないけど話は聴くよ」といってくれた。

私は結婚前から暴力があったこと。子どもたちに躾だといって火傷を負わせたことがあったこと。お兄ちゃんが不登校になったとき、弟が児童相談所に相談することになったとき、俺は関係ないといって協力してくれなかったこと。DVを受けて今まで辛かったことをみんなぶちまけた。そして今は離婚したいと思っていることも。

店の客のカップルはモト君のことを知っている二人だった。私の話を聞いて「そんなことをするようには見えなかったけど…。それが本当なら、そんなの暴力だよ。児童虐待だよね。子どもが可哀相だよ。一緒にいなくていいよ」と言ってくれた。ママさんは「店ではごく稀に、あいつの目つきが変わることがあったよ。お客さんと言い争いになりそうな時、影でチラッと目が変わるんだよ。でも喧嘩はしないんだけどね。あなたの言うことわかるよ。家でそんなことをしていたんだね。転職したり仕事が大変だからって、そんなことしちゃいけない。それは違うよ。あなたは我慢することなかったんだよ。でもね、今の私はあなたには何も力になってあげられない。もっと若ければこの店の稼ぎもちょっとはあったんだけどね。今はこの通り、お客さん少なくなってね。店も毎日開けていないんだよ。だから私にできることは、あなたを力づけることだけ。今までずっと我慢してきたんだね。でも、もういいんだよ。いやだったら別れていいんだよ。あなたは悪くないんだから。あなたは子どものためによくやってるよ

ママさんにそういってもらえて、初めて私の言っていることがまちがっていないんだと私は自信が持てた気がした。他のだれに話しても、私の気持ちは分かってもらえると強く思えた。

ママさんのところに泊まることができないので、ママさんが電話でビジネスホテルを予約してくれた。金曜日は新宿の目ぼしいホテルはすぐ埋まってしまうらしい。私は店の片づけを手伝って、ママさんが店を閉めて2人でホテルの方に向かった。道を歩きながら、私はもっと早く相談できていたら…と思ったが、いろんなことがあってそれでやっと相談できたような気がした。私にはこの順番でしか自分の人生を変えていく方法が無かったんだと思う。

ホテルの前まで送ってもらってママさんと別れた。別れ際にママさんが「今夜はゆっくり休んでね。これからどうするの?」と聞いた。「実家に行って、母に今までのこと聞いてもらおうと思う。アパートを借りることを相談したい」と私がいうと、「それがいいよ。気をつけて行きなよ」ママさんは私を勇気付けてくれた。

| | コメント (0)

2008年1月 3日 (木)

母子家庭のハードルは「離婚」と「住まい」  簡単にはなれない母子家庭

3月になり、「このまま夫とは一緒に暮らせない」「まず別居をして、どうしても別れたいという私の気持ちを示して、それから離婚調停をして正式に離婚するしかない」と思いが固まってきました。

1日、私は仕事を休んで区役所の女性相談員に、児童扶養手当のことや生活保護、母子生活支援施設、シェルターなどに入ることはできるのかどうか相談をしに行きました。私としては二男のことがまず心配だったので、二男をつれて家を出て、どこかアパートを借りて住んで、それから離婚の話を進めること。別居しても私は今までと同じパートの仕事に通い、二男は転校しないで市内の同じ高校に通学すること。この2つの希望ははっきりしていました。(長男は離婚が成立すれば一緒に住もうと思いました。離婚が成立するまでには時間が掛かります。それまでの間、少しでも別居の負担を軽くしなくては長期戦になったとき経済的にもたないと思ったからです。3人で住む場所よりは2人の方が、3人が食べるよりは2人で食べる方が軽くすみます。それに二男はまだ18歳以下だったので児童として福祉の制度を受けられる資格があったので、大学生のお兄ちゃんにはちょっと待ってもらおうと考えました。それは私にとって苦肉の策でした)

私はアパートを借りるための初期費用などは、それまでに少しずつためたお金があったのですが、その後の生活のことを考えると不足する分は、どうしたらいいのかと悩んでいました。母子生活支援施設に二男と一緒に入れたら費用の負担は少なくなるのかな…など漠然と考えたりしていました。

私が区の女性相談員に相談しようと思ったのは、保育の学校で社会福祉や児童福祉の授業で福祉制度を勉強して、そういう相談員がいることを知ったからです。母子家庭やひとり親家庭(この場合は父子家庭を指す)に対していろいろな福祉の制度があるので、それを利用できるかどうか聞きたいと思ったからでした。自分で区のサービス案内の冊子だけを頼りに相談に行くのは心細い感じがするけれど、保育の学校の先生から「福祉サービスの現場には○○という専門家がいるので相談できます」と聞いていたのでとても心強く思えました。

女性相談員の方は急な相談依頼の電話だったも関わらず、「午後からなら空いています」と返事をしてくれ、1時半からと時間の約束をしてくれました。

私は女性相談員に「離婚が成立するまで二男と2人で住むところがほしいけれど、福祉の関係で利用できるところはありますか?」と聞きました。すると彼女は「母子家庭の親子として入所するには母子家庭になっていることが必要です」といいました。私は「母と子どもで住むのだから母子家庭ではないのですか?」と聞き直しました。

「母子家庭というのは法律で定められていて、父と生計を同じくしていない児童が育成される家庭 ということになっています。つまり、お父さんと離婚が成立していて、別の場所に児童と一緒に住んでいることが証明されないと母子家庭とは認められません。単に別居して子どもと一緒に住んでいるから母子家庭というのではないんですね。離婚が成立していることと新しい別の住所に住んでいることが必要です」

「子どもと2人出てきただけでは母子生活支援施設には入れないんですか?」

「はい、離婚されて配偶者がいないことが必要になります。それに、離婚後に入所されても一組の母子に与えられるのは母子室の一部屋だけです。高校生の方との生活では広さが不足するように思いますが…」

「そうですか。たとえ母子生活支援施設に入れても、現実的な生活という面では厳しいということなんですね。では、別居しただけでは児童福祉手当(最大児童一人月額約4万円程度)はどうなんですか?」

「それも、法律的に母子家庭と認められないのでもらえません」

「離婚が成立して養育費とか慰謝料がもらえるようになるまでの期間が実際大変になるのに…。その間は福祉の制度には何もしてもらえないんですね。それならシェルターに入るのはどうでしょうか。入れますか?」

「シェルターに入ると、そこから会社に通ったり、学校にいくことができません。これはシェルターの場所を秘密にしておくことが大切だからです。配偶者の人が探しにきたりするのを防ぐために仕方の無いことなんです。場所がわかってしまうと危険なことになるからです」

「そうですか、シェルターも私の場合には利用できないのですね。本当に困ることは、私のようにパートでしか働いていないのにアパートの契約をしなければならないことです。収入も少ないので保証人とかの問題があると思うのですが、わたしのような者でも不動産屋は契約してくれるのでしょうか?」

「どうしたらいいということはわかりませんが、以前私が知っているケースでは、ご本人の弟さんに、姉の自立のためという理由で契約者になってもらい、保証人はそのお母さんになってもらって部屋を契約した女性がいます」

「弟が契約者になっている部屋に住んでいて、児童扶養手当はもらえるのですか?」

「それは大丈夫です。ただし、契約する住まいはご主人の家からある程度離れていることが必要です。近所(隣の町)だとお互いに行き来があるのではないかと手当てが認められないことがあります

「念のため、もし、離婚して母子家庭で生活が苦しければ生活保護は受けられるのですか?そうなると家賃の制限とかはあるのでしょうか?」

「離婚していたら一応申請できる資格はあると思いますが…、離婚できていないと生活の保障はご主人にあるからです。家賃は高くても6万円台でしょうか」

「離婚できていたらいろいろ利用できる制度があるのですね。でも、それまでの生活が心配です。パートなので収入が少なくて…」

「離婚が成立するまでは今のご主人に生活を保障する責任があるので、婚姻費用というのが請求できるんですよ。それを支払ってもらうという方法もあります」

「それは知りませんでした。そういえば以前、離婚のための法律講座を横浜のフォーラムで受けたことがありましたが、そのようなことを言っていたような気がします。帰って調べてみます」

「そうですね。法律相談なども利用されるといいですね。今日は一応、母子家庭になったときに利用できる区のサービスのパンフレットを渡しておきます。何かあったらまた相談に来てください」

女性相談員は「ひとり親家庭のしおり」というのを渡してくれた。ひとり親家庭には、くらし・すまい・子ども・しごと・医療費や年金・レクリエーションなど、さまざまな支援サービスがあるのがわかる。こうなると私の目標は「晴れてきちんとした母子家庭になること」になってきた。そのためのハードルは「離婚」と「住まい」だ。先に手をつけなければならないのは「住まい」の方だ。契約者をどうするか? どうやって不動産屋と契約するのか? 騙されないかな…。何だか不動産屋というところがとても恐ろしいところに思えてくる。

契約者になってくれる人……弟?  でもその前に今までのことを洗いざらい打ち明けたい人が浮かんできた。「その人のところに行こう」そう思って仕事を終えてまっすぐ駅に向かった。子どもたちやモト君にはメールをすることにして。

「今日は友だちの家に行きます。よろしく」震える指でメールを送った私はホームに入って来た湘南新宿ラインに乗って新宿へ向かった。33日金曜日、電車の窓ガラスに映る自分の姿が心もとなくて見ていられない夜だった。

| | コメント (0)

2007年12月16日 (日)

「ひまわり~DVをのりこえて」            そして、awareアウェアとの出会い

私はもっともっと確かめたくなって、かながわ女性センターで行われたDVに関するレジリエンスの講演と 朗読舞台「ひまわり~DVをのりこえて」25日観にいきましたレジリエンス中島幸子さんのお話は、今まで横浜の女性フォーラムで聞いた講座と同じ内容だったのに、何故か 私の心にぐんぐん入ってきました。 そして 舞台の上の女性達の苦しみは 私の体験してきたことと同じでした。 私もいっぱい苦しんできたことを思い出し、涙がハラハラと頬をつたいました。

私はこのとき 「いままでの自分の考え方が間違っていた」 と気づきました。 私はずっと 夫から解放されたいと思っていたけど、 でも、私を解放するのは 夫ではなく 私自身だったと初めて気がつきました。 わたしが自分で決めていいことだったんです。私を脅したり、バカにしたり 子どもたちを傷つけた上、子どもたち達が大変な時に、夫は仕事を理由に一度も助けてはくれなかった。私は 「そういうあなたとは一緒にいたくないんです」「そういう人は嫌いなんです」と 今こそ夫に言わないと、 「私の人生は 私のものでないまま終わってしまう」 と思いました。

そして「ひまわり」の舞台を観たときに もらったパンフレットで アウェアの存在を知りました。パンフレットには

「DV加害者プログラム」  「DVを止めたいという意思を持つ人」が 「DV行動の大きな要因であるジェンダー・バイアスを学び落とします。DV行動は「犯罪」であり相手を「力で支配するため」に、手段として「自分が選択した行為」であることに気づき、その「責任をとる」ことを目指します。暴力ではない他の方法を使えるように学びます。   とありました。

私は 「こんなことができるの?」とびっくりしました。DVした人を変わらせられるなんて、DVした人のことを知り尽くしているんだなと思いました。

そして、「デートDV防止プログラム」 「DVはおとなだけの問題ではありません。若者たちの交際でも起きています。デート相手にするので「デートDV」と呼びます。若者たちが暴力をふるったりふるわれたりせずに、相手を尊重する関係を学ぶプログラムを実施しています」 という文章に釘付けになりました。

結婚する前からの暴力もあるんだ。私のはこれだったんだ…という衝撃でした。

さらに「デートDV防止プログラム・ファシリテーター(実施者)養成講座」の募集告知が載っていました。私はその「養成講座」に惹かれました。学校などでプログラムを実践できるよう、基礎からじっくりと学べる内容ということで、「加害者について知ること」が私の力になると感じました。

気がついたら アウェアに申込のメールを送っていました。

*メールの一部*

私は、子どもたちには夫と同じようなDVをする大人になってほしくないのです子どもたちは「大丈夫!」と言っていますが、父親の血も流れているので不安はぬぐえません。だから、私から彼らに伝えたい!そして、離婚することに決めた夫については、彼がDVをせざるを得なかった愚かさを、はっきり見極めたい。そう思って参加したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

精神的に不安定になり…相談機関へ     「それはDVですよ。 あなたの責任じゃない」「あなたは悪くないのよ」

私は病院のカウンセリングで 「自分の思っていることをもっと 夫に言えるようにしていきましょう」と精神科医からアドバイスを受けていました。それで、自然とモト君と意見がぶつかることが多くなって、モト君はそれに対して戸惑っていたようです。口論になると「来月の給料は少なくなるからな」といって 私に不安を与えました。特に年末からお正月にかけて、お休みが続くと、私はいろいろな場面でモト君と衝突し、ストレスがどんどんたまっていきました。

精神的に不安定になると これから先のこと、特に次男のことが心配になってきました。 「ひょっとしたら、これからの進路を決めるとき 夫とぶつかり合うのではないか? 次男が夫に反発したり、反社会的な行動に走ったりしないか? 今度 何かあれば 次男は少年法に触れる年齢です。何かあったら取り返しがつかない」 そういう心配が大きくなって、「夫と一緒にいる限り、夫が変わらない限り、同じことは繰り返し起こる」と わたしは確信しました。

お正月が明けてから、私は思い切って配偶者暴力相談支援センターに相談しました。今の自分の状況を確かめたかったんです。

相談員の女性は 「それはDVですよ。 あなたの責任じゃない」「あなたは悪くないのよ」 といってくれました。 そして 私が今すぐ 私の命が危ない状況なのか、どうか確かめました。

私は 「その必要はありません。 でも このまま夫と一緒にいることは精神的にもう耐えられません」 と答えました。

 「あなたはどうしたいのか、 これからできることを考えていきましょうね」と相談員は言ってくれました。

| | コメント (0)

2007年11月 5日 (月)

「必要なことをやっていけば道はきっと開けるから!」児童相談所でのこと。そして、保育士の勉強でDVと児童虐待の関係がみえてきました。

児童相談所では、月に1回ぐらい、私と次男はそれぞれ別の担当の方とカウンセリングを受けました。初めて児童相談書を訪れたとき、これからどうしたらいいのか?と不安そうな私と次男に、児童福祉士の方が「必要なことをやっていけば、きっと道は開けるから」といってくれた言葉は 今でもはっきり覚えています。

次男は男性の児童福祉士と、男性の心理判定士の方が担当され、カウンセリングや心理の検査を受けました。私は女性の相談員と今までの家庭生活や夫婦関係について相談をしました。そのときの相談では、私自身がまだ子育ての真っ最中で、離婚することを明確に希望していなかったので、基本的には「どうしたらお父さんの悪い影響が出ないように過ごせるか」といったような内容でした。「私の気持ちの持ち方を変えてみたら?」 というようなアドバイスがありました。相談員としては、私の家庭は再生できる可能性があると判断されたのでしょう。私は「大変だけれど、これからも私がしっかり対応できれば乗り越えられそう」な気がしました。でも、「子どもたちが大人になって自立したら、そのときはもう私は夫とは一緒に暮らしたくないと思っている」と女性の相談員には打ち明けました。

そうして受験をし、次の年の4月には、長男は私立大学へ、次男は公立高校へ入学することができました。

児童相談所の相談は 次男の高校合格を区切りとして 終了となりました。女性の相談員は「資格をとってフルタイムで働くことをまず考えてみては?」 「保育士なんか いいんじゃないですか?」と私にアドバイスをしてくれました。 私はアドバイスを参考に、保育士の資格を取るために勉強しようと、保育のスクールに通いはじめました。 

保育の勉強は 偶然にも とても大切なことを 私に気づかせてくれました。 それは 「人権」 ということばです。

児童福祉の先生は「子どもの命には3つあります。一つは健康な体で生まれる命、二つは 何らかの障害を持って生まれる命、そして3つめは この世の中に生まれることのできなかった命。だから、この世に生まれた子どもの命を大切に守り育てる義務が 保育士にはあるんです。そして これは子どもの人権・一人ひとりの子どもが あたり前に持っている権利を 護ることなんです」 と授業をされました。 

私はそのとき、夫の暴力によって私の人権も、子ども達の人権も ずっと踏みにじられていたんだと 実感することができました。 精神保健や発達心理学を学ぶことで 児童虐待とDVの関係が 客観的にわかるようにもなり、今までの子育てを振り返ることができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月20日 (土)

私は心が壊れそうになりました-うつ的症状の現れ

次男は中学3年生でこれから進路のことや高校受験もあるし、もし、また 夜中にこっそり家を抜け出して 火を付けに行ったりしたらどうしよう?  夫はもう頼れない。わたしがしっかりしていかないと… そんなことを考えると 私は 眠れなくなりました。 夜中にうなされたり、叫び声をあげるようになりました。

家事もうまくこなせなくなり、食事の支度をするのが苦痛になりました。 お皿を洗っても、洗っても、片づけが終わりません。 買い物に行ってもどれを買っていいのか全然決められなくて、時間がかかるばかりです。

夜中に ゴミだしに行く時 マンションの5階の階段の踊り場から、地面を見ながら「落ちたらどうなるんだろうな…」 ぼうっと考えることが 多くなりました。

このことを 長男の小児精神の先生に相談しました。 このとき初めて、先生に 夫の結婚前の暴力のことを 話すことができました。 私が今まで話せなかったのは 「そういう人と結婚したのはイヤと言えなかった私にも 責任がある」と ずっと心の底で思っていたからです。 でも先生は「我慢しなくていいんです。あなたの人生なんですよ。 もっと自分を大切にしないと…」といってくれました。

私は神経科で診てもらうよう勧められ、次男も同じように小児精神でカウンセリングが受けられることになりました。

このころから、パート仕事の合間に、横浜の女性フォーラムで開かれているレジリエンスのDVの講座や、「離婚のための法律講座」を知り、幾度か参加するようになりました。

| | コメント (0)

2007年10月15日 (月)

とうとう、次男までも…。はかり知れない影響が子どもを蝕んでいく恐ろしさ

長男はそうして中学3年生になったら学校へ順調に行けるようになり(体調不良で休みがちなことはありましたが)、次第に成績も取り戻せて(ギリギリでしたが)私立高校進学がきまりました。

一方、次男はおにいちゃんのことで精神的に不安定になり、「小学校を休みたい」と私になんどもいいました。「僕だって学校に行きたくないときがあるんだよ!」私は弟までも不登校になったらモト君になんと言われるか!? 想像しただけでも恐怖だったので、無意識のうちに次男にはプレッシャーをかけていたのでしょう。でも、私はなんとかくい止めようと、「今日は心のお休み日だね」と次男と二人で決めた日を、月に1度のお休み日として、それをこころのよりどころにしたり、朝は二人で一緒にお話をしながら学校まで連れていったりしながら、ようやく小学校卒業まで乗り切ることができました。次男は地元の中学に進むことになりました。そして入学してからは二人ともそれぞれに頑張っているようすで、しばらく我が家にも落ち着いた日々が訪れました。 

(私は内心、お兄ちゃんの不登校がぶり返さないか不安でたまりませんでした。次男は「魔の中学1年生の夏休み」=「この前後に不登校になるケースが多いという小児精神神経科の医師の指摘」を乗り切ってくれるかとても心配でした)

ところが、明日が次男の中学3年の始業式というその日、警察から電話が架かってきたのです。

「お母さんですね。次男の方と一緒に警察に来て欲しいのです」

そういえば、去年、私達が住んでいるマンションでボヤ事件が数十件あったのですが、マンションの人たちは警察に届けたものの、その後犯人探しはどうなったのか、何も音沙汰はありませんでした。もちろん、我が家では子供達にやっていないか確かめましたが、子供達はやっていないと答えていました。それが、「犯人は私の次男」ということだったんです。

次の日、警察の人がマンションまで車で迎えに来てくれていて、次男と二人、警察に行きました。本人は自分のやったことを認め、 児童相談所に通告されることになりました。このことはいまでも夫に話していません。

それから、2ヵ月後、児童相談所から、次男の相談に対しての「呼び出し状」が書面で夫宛に届きました。 私は夫にこう説明しました。

「次男は自転車を盗んだり、小さいころからおもちゃを盗ってきたり、問題行動があるから、警察から児童相談所に相談するように言われていたんです。父親のあなたが一緒に行くことになっているのよ」

それを聞くと夫は「仕事があるのにそんなところへは行けない。 それに警察に呼び出されたり、相談所で相談されるような息子を持った覚えはない。どうしても俺に来いって警察や相談所がいうのなら、「この子には お父さんはいません。だから私が付いてきましたって言え!」ととんでもないことを言い、相談所に行くことを頑なに拒絶しました。

私は 「子どもが大変な時に助けてくれたり、力になるのが家族でしょう? どうして相談できないの? 「家族が欲しい」って言ったのは あなたじゃないの? なのにどうしてあなたはそうなの? 何か理由があるなら話してよ!」とたずねました。

夫は「それは言えない」といっただけで外に出てしまいました。

| | コメント (0)

2007年10月10日 (水)

突然、長男が不登校になって… 家族は出口の見えないトンネルに迷い込み始めました。

それから一年ぐらい経って、 長男が中学1年生の二学期を迎えた頃、彼が不登校になっていることが分かりました。 私は 病院でカウンセリングを受けられると知って、 長男と大学病院の小児精神神経科に通院しました。 モト君には内緒でした。 打ち明けたら、長男にどんな暴力を振るうか 恐ろしくて言えなかったのです。

医者は お父さんも来院するように熱心に説きました。家族で取り組むことが大切だからです。 私は悩みました。そこで、長男を親戚のうちに泊まらせた上で、モト君に事実を話すことにしました。

事実を知った彼は 「俺は何も悪くないからな。一生懸命働いているのにどうしてなんだ。無理にでも学校へ連れて行け。お前が甘やかすからこうなるんだ。子どものことはお前に任せているのに、とんでもないことになった。仕事があるから病院には行かないぞ。俺に相談するなら、俺の言うとおりにしろ! それができないのなら、始めから俺に相談しないでくれ」と激しく怒りました。

私は、この無責任で非協力的な態度に失望しました。ただ、病院に通うことだけは認めて欲しいとモト君にお願いして通院しました。

それからのモト君は「学校に行かないお兄ちゃんは良くない子、友ちゃんは学校に行っていい子だね」と長男のいる前で、わざと次男をかわいがるということを何度もしました。そういうことがどんなに長男を傷つけ、次男にとっては「お父さんの言うとおりにしないと、どうなるか」 精神的なプレッシャーを与えてしまうと、全く気づかないのです。そして、家族で何かあるたび「誰のおかげで、そんな大学病院に通えると思っているんだ。働いているのは俺なんだぞ!」とか、「俺と同じ金額を稼いできてから、俺に文句言ってくれ」 と怒鳴りちらしました。このころ、家族そろって食べる夕食は極度の緊張で、砂を噛むようでした。

そうして、不登校になってから一年後、やっと長男が少しずつ続けて登校できるようになりました。

| | コメント (0)

2007年9月21日 (金)

もう暴力はふるわない!やっぱり俺は家族が欲しい!  その言葉の身勝手さ…

そうして1学期が終わって、夏休みも残り少なくなった日、私は勇気を振り絞って モト君に「今まで 殴られたりして、 あなたが怖かったから 言うことを聞いてきた」 「あなたと一緒にいるのが怖い。 私のほんとうの気持ちや感情を あなたに言えなくて いったい、どうすればいいのか…」 と気持ちを打ち明けました。するとモト君は「そんなに俺のことが嫌いだったのか!  だったら離婚だ! 今からさっさと 子どもを連れて実家に帰れ!」 と一方的にいいました。それは夜中だったのに、モト君は子どもたちが寝ている二段ベットに行って、「お前たち! お父さんとお母さんは離婚することになったからな。お前たちはもう二学期からおばあちゃんのところへ行くんだぞ! わかったか?」と大きな声で子どもたちを起こしながら叫びました。私はこんなときにも子どもたちに大人として配慮できないモト君の行動が理解できませんでした。まるで自分中心で子どもへの影響など考えていません。思いやりの一つもないのです。彼は子どもたちに宣言してから、「ちょっと出かけてくる。今あるお金を全部渡せ!」と私に言って現金を2・3万円取り上げ、夜中にどこかへ出かけてしまいました。

私は本当のところ、今の気持ちを分かってもらいたいだけで、 離婚のことまでは具体的に考えていませんでした。 だからそんなことを言われてとてもうろたえました。 でも、今までそんなことを私から言ったら何をされるか分からず怖くていえなかった、そのひとこと「離婚」という言葉を、夫の方から「離婚していい」といってくれました。考えようによってはそれはチャンスです。私は元君の言い分に応じようと思いました。でも、何もあてはありません。とにかく実家に帰るところからはじめなくては、と覚悟をきめました。そうなればできるだけ夏休みのうちに移動しないといけないと冷静になりました。

ところが、二日ほどしたら 夫は 「考え直した。もう暴力は振るわない。俺のことを怖いと思うのなら、 お前がカウンセリングを受けて相談したらいい。離婚すれば俺の今までは全部なくなってしまう。そう思うと、やっぱり俺は家族が欲しい。世間体もあるし、離婚はしたくない。」 というのです。

私は、 夫が暴力を止めて 優しく理解ある人になってくれるのなら、離婚することで子どもたちをまた転校させ、慣れない実家での生活や、これから掛かってくるだろう教育費の不安もあったので、 夫の言葉を信じ離婚しないことにしました。ここまで自分の方から折れてくれたモト君を退けるのは、私にとってむずかしいことのように思えました。

実は、私自身が中学1年生のときに父親を亡くし、それからは母親が独り働いてくれて、経済的に苦しいことがありました。 子どもたちには十分な教育を受けさせてやりたいし、私が経験したような経済的苦労はなるべくさせたくありませんでした。なにより一番には、私がどれだけ働いていけるのか、不安が大きかったのです。パート仕事で社会的経験が乏しい生活をずっと送ってきているからです。それに、実家の母にまだまだ甘えることができませんでした。母には「私が幸せな結婚をしていると思って欲しい」そんな見栄や恥ずかしさもあったように思います。

このモト君の反省で私はこのままとどまり、このことがきっかけで、モト君は 私に対して 殴ったりすることは なくなりました。

しかし 「暴力はそれだけではない」 ということに モト君は気づかなかったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)